博多の街を眺めて60余年
かつてを懐かしみながら…
大石 和夫 さん
大石商店 店主
趣味 ボーリング(自己最高得点230点くらい)
小さい頃から祇園町界隈で育ったのですか?
生まれも育ちもそうです。小さい頃はかなりの「わるそう」でした。この近所は、博多祇園山笠の「岡流」があった地域なんですよ。私も小さい頃から参加していました。当時はお菓子をもらえるのが楽しみでしたが、10歳くらいの頃に、岡流はなくなってしまいました。
高校を卒業してからは、広島の東洋工業で働いていました。そこで上司に見込まれて、あんまり厳しく鍛えられたものですから、3年くらいで戻ってきました(笑)。博多に戻って、実家の手伝いをしていたのですが、実はしばらくしてから、その上司がやってきたんです。私がぱっとしない様子だったら、連れて帰ろうと思っていたようです。
お店では、タバコをはじめ、いろいろな商品を扱っていますね
父がここで商売を始めた時は、古着を多く扱っていました。今と違って、背広やコートは、当時はなかなか新調できるものではありませんでしたからね。年末になると、背広を買ったら、すぐに着替えて、その足で博多駅から故郷に帰っていく人が何人もいました。
古着だけではなく、そこから質流れの時計や貴金属品も扱うようになりました。今では、物流のシステムが変わって、仕入れの方法も変わりました。質屋からの品物もありますが、住む人がいなくなった、古い家を整理した時に出た、「自分の家では使わないけれど捨てるには惜しいもの」を引き取ることが増えてきました。古いカメラや扇風機、珍しいものでは、琴なんかもあります。家に古いものが眠っている方は、気軽に連絡してください(電話092-281-5452)。今では、他にも、タバコやスペアキーの製作もやっていますし、ステッキなど、いろいろな商品をおいています。
長い間、この街に暮らして、一番変わったと思うのはどんなところですか?
博多駅が現在の場所に移転する前は、スマートボールの店や映画館などがあって、人通りも多く賑わっていました。この通り(商工会議所や博多警察署がある通り)にもどんたく隊が来ていたんですよ。
街が大きく変わったのは、ここ30年くらい。やはりバブルの頃ですね。個人商店だったところが軒並み出ていって、大きなビルが建ちました。私が小学生の頃には、冷泉小学校は1学年に150人くらい生徒がいましたが、息子や娘が通っていた時には1学年20~30人。友達が少なくて寂しいというので、中学校は私立にやりました。
この辺りは、博多駅からも川端商店街からも近いし、便利な地域です。今後また、以前のような活気が戻ってくることを期待しています。