八番山笠 上川端通は創立50周年を迎えます
武内 照臣 さん
八番山笠 上川端通 総務
趣味 歌舞伎鑑賞、ゴルフ
「走る飾り山笠」として有名な八番山笠上川端通が、最初に作られた時のことを教えてください
大きな飾り山笠を作って、しかもそれが動くというのですから、気になっていました。けれども、昭和39年当時、私は東京で大学生でした。博多祇園山笠には高校を卒業するまで参加していたし、実際に見てみたいと思ってはいたものの、学業とバスケ部の活動に忙しく、帰省することはできませんでした。インターネットや携帯電話などない時代ですから、後になって、いろいろな話を伝え聞きました。単純に、「すごいな」と感じましたね。口火を切った半田新一さんの熱意もさることながら、毎年続けるには、経済的な基盤も必要だし、どんな飾り山笠にするかというアイデアも大切。町の皆様の協力あってこそ、今まで続けてこられたのだと思います。
私が東京から福岡に戻ってきたのは29歳の時。物心ついた頃から博多祇園山笠に参加していたわけですから、再び関わることができるようになって、本当に嬉しかったですね。
印象に残っているエピソードなどはありますか?
最初は、追い山笠の朝、舁き山笠が全て櫛田入りをした後に、勝手に入って清道旗を回ったそうです。それが、2年後の昭和41年に博多祇園山笠振興会の公認を受けて、順番も舁き山笠の次に繰り上がりました。ちなみに、昭和41年は土居流が不参加だったために七番、その後はずっと八番です。
上川端通の飾り山笠が煙を吐くようになったのは、平成3年のこと。「ゴジラvsキングギドラ」が標題でした。その時は「見送り標題」つまり後側だったのですが、思いのほか好評だったために、翌年からは表標題に仕掛けを持ってくるようになりました。
それと、今年の表標題は「船弁慶」。奇しくも、6月の博多座演目にも「船弁慶」が入っています。標題は昨年秋から考え始め、今年の1月には決定していたので、博多座の演目を意識したというわけではありません。とはいえ、嬉しい偶然に、上川端通の皆も一層盛り上がっています。
創立50周年の集大成ともいえる記念誌が発行されるそうですね
今まで関わった人達による座談会をはじめ、先程お話した以外にも、いろいろなエピソードを紹介しています。一言で表現するなら、「上川端通の山笠の記録が詰まったもの」です。昔の出来事に関しては特に、資料集めも大変でしたが、その分、読み応えのある、内容の濃い記念誌になっています。今年の飾り山笠までの記録を掲載するため、発行は今年の8月末から9月初旬になる予定です。完成したあかつきには、関係者へ配布するだけではなく、図書館などへ寄贈して、多くの方に閲覧していただこうと考えています。また、希望者への販売も行うことにしているので、ご家庭でもゆっくりお楽しみいただきたいです。
最後になりましたが、これからの八番山笠上川端通について一言お願いします
町内の先輩方が、上川端通の飾り山笠を残すために頑張ってきてくださいました。その意思をついで、我々や、それに続く世代も頑張っていきます。また、1つの町が1つの流を形成しているのは、今では上川端通だけ。これもひとえに、町の皆様の協力あってこそできることです。今後も博多祇園山笠の発展の為に、町全体で協力して、一層盛り上げていきたいと思っています。