この地域の良さを次世代、その先の世代へ
仁泉 浩 さん
やぐらもんグループ 社主
趣味 ゴルフ、昭和歌謡
「仁泉(にいずみ)」とは珍しい名字ですね
父は淡路島出身ですが、名字の由来や祖先のことを話すと長くなりますよ(笑)。古くは仁徳天皇まで遡り、古事記にも記載があります。先日もFacebookで、「自分も仁泉という名字です」という方から、ルーツを知りたいとメッセージをいただいたので、事細かに教えて差し上げました。
「やぐらもん」というグループ名にも何か深い由来が?
会社があるこの辺りが、以前は「矢倉門町」という地名だったんです。高齢者の方には懐かしい地名で親しみが湧くだろうし、また、「やぐらもん」という響きも良いので、この名称に決めました。
子供の頃からこの辺りで育ったのですか
父が中洲で寿司屋を営んでおり、4歳までは中洲で育ちました。近所の方からも「浩坊」と可愛がられていましたね。屋台で夕食を食べたり、那珂川沿いで金魚すくいをしたことなどをよく憶えています。その後、祖母が住んでいた雁の巣の家に引っ越したのですが、雁の巣に行く途中で舗装道路から砂利道に変わったことに、相当なカルチャーショックを受けました。
その後は紆余曲折ありまして、福岡を離れていたこともあるのですが、平成17年に戻ってきました。そんな中、縁あってゴルフ仲間になった宮原医院の院長に声をかけられ、ここ祇園町でデイサービスを行うことになりました。
以前からデイサービスの仕事を?
社会福祉やアパレルなど、様々なサービス業に携わってきました。その経験は、デイサービスの利用者様、その家族の方やケアマネージャーの方など、それぞれの立場のニーズに向き合い、多角的な視点で物事に対処することに役立っています。
祇園町一区の自治会長、櫛田宮の世話人としても活動されていますね
縁があって博多に戻ってきたわけですから、ご恩返しというか、この地域の役に立ちたいと思って、地元の行事のお手伝いなどをやっています。博多部は近年ドーナツ化しているといいますか、夜の繁華街としての顔がクローズアップされ、住んでいる人も単身者が増えているようです。けれども、私が子供だった頃と同じような、子供から高齢者まで一緒に過ごせる街であり続けてほしいですね。
話はちょっと変わりますが、小笹団地の再生事業にも関わることになりました。今後の高齢化社会における公営住宅のあり方を、国に先駆けて発信していくつもりです。そして、そこで得たノウハウを、博多の街づくりにも役立てていきたい。いわゆるビジネスの枠を超えて、博多の街の良さを次世代に伝えていきたいと考えています。いずれは博多祇園山笠の通り道に高齢者施設をつくって、利用者様が家族揃って山笠見物ができるようにしたいですね。