櫛田神社の歴史は博多の歴史とさえいわれ古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集め 博多区上川端に鎮座し、地元の人からは「お櫛田さん」と称され親しまれています。
7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこない、 5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、 松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっています。
現在の櫛田神社の社殿は、天正15年の豊臣秀吉の博多復興の際に、建立され二十五年に一度、式年遷宮(しきねんせんぐう)つまり大きな改修工事が行われ歴代の黒田藩主もそのしきたりを守ってきました。平成に入ってからは12年に48回目の式年遷宮が行われました。
社伝によれば、天平宝字元年(757)の創建と伝えられ、伊勢国松坂の櫛田神社を、当地の産土神として勧請して宮を建てたのがこの神社の始まりであるとされています。 その時、松坂の櫛田神社の御祭神・大幡主神は元々天照大神にお仕えしている一族の神であったため、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられるいます。
そして更に天慶4年、藤原純友の乱を鎮めるため、追討使小野好古が京都の八坂神社に神助を祈願し、素戔嗚神を当地から勧請し、奉斎することになったとのことです。 他に、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社を、 日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説もあるが、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もあるようです。
古くは祭神ごとに別々の神社となっていましたが、九州を平定した太閤・豊臣秀吉が社殿を寄進しひとつの神社としたことにより現在の姿になりました。 明治元年の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していました。
当社以外にも日本全国にいくつかの櫛田神社がありますが、 それらが櫛名田姫を主祭神とする神社であるのに対し、当社では櫛名田姫は祀られていません。 ただし、元々は櫛名田姫を祀る神社であったとする説もあるようです。
(櫛田神社HPより引用)